〜べき、〜すべきという縛り(他人編)
こんにちは、nozomiです。
ご覧いただき、ありがとうございます。
今日は〜べき、〜すべきという縛りというテーマでお話ししたいと思います。
あなたは普段どのくらい
〜べき、〜すべきという言葉を使用していますか?
無意識に、そして当たり前のように
当然でしょ?
常識だよね。
そんなの普通〜だよね。
と自分が思う常識の範囲内で物事を捉え、判断し、除外
まるで常識という小さいボックスに無理矢理押し込めてしまうように。
自分のレールに沿わせようとするように。
そこから外れる人を非難してしまう経験があなたにもあるかもしれません。
他人が自分の常識から外れた言動を目にしたとき、
憤りを感じませんか?
なんでこの人はこうなんだ。なんて非常識なんだ。
そんなふうに感じるかもしれません。
しかしそれはどうしてでしょう?
どうして自分のことではないのに、
他人のことなのに、
あなたは面白く思わないのでしょうか。
人には自由があります。
確かにあなたのおっしゃることは多くの方の、そして世間の当たり前に合致するかもしれません。
しかし、人としてどうなの?と思うことであっても、
それはその人が選択していることなのです。
その人に責任があることなのです。
他人を矯正せずとも良いのです。
そして他人を矯正することは不可能です。
それは相手だけでなく、
自分を縛っていることに気がついていますか?
自分の常識が、
常識と思っていることが、
自分を自由を奪っています。
縛りがあればあるほど生きづらいものです。
次回は自分への縛りにフォーカスして書いていこうと思います。
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