〜べき、〜すべきという縛り(自分編)
こんにちは、nozomiです。
ご覧いただき、ありがとうございます。
今日は〜べき、〜すべきという縛り(自分編)というテーマでお話ししたいと思います。
昨日の他人編の続きになります。
〜べき、〜すべきという縛りは自分自身をも縛っているとお伝えいたしました。
「こうすべき」や「やるべき」に留まらず、「そんなことするなんてあり得ない」というのも〜すべきなのにやらない彼・彼女はあり得ないというように、
べき、すべきが元になっています。
これは自分の価値観をそのまま投影したものになっており、
イコール自分もその考えに従って日々を過ごしているということになります。
そのため、自分の中にたくさんの「あれダメ」「これダメ」
「こうしなければならない」が存在しているということになります。
この考えは自分の今まで生きてきた中で学び、育んできた観念となります。
特に家庭環境や学校での教育により、そのような考えに至っている部分が大きいと思われます。
「みんなと一緒」「足並みを揃える」「協調性」
これらは日本人にはごく当たり前の意識かと思います。
しかし、
- 足並みを揃えないやつはダメなヤツ
- 協調性がないヤツ
などと、他人を認められないばかりでなく、
一人だけ浮いてしまうのではないか
出る杭は打たれる
意見を合わせなければどう思われるか分からない
と恐怖から本来の自分を見せられない状況を生み出しています。
- 本当はそう思っていないのに
- 本当は自分を表現したいのに
- 本当は他人の顔色なんて伺いたくないのに
他人の目が、世間体が気になって自分に素直に生きられていない方が
どれほど多いことでしょう。
そしてそれに気が付かず、苦しい気持ちやモヤモヤする気持ちを抱えて
悩まれている方が多くいらっしゃるように思います。
まずは自分にどんな観念があるのか気がつくことが大切です。
どんなとき自分が相手の言動に反応するのか。
↑ 反応するということは対象のものにどんな気持ちを感じたのか
それが自分の観念に外れているからの可能性が高いです。
多分本当にたくさんの観念があると思います。
私もまだまだたくさんあります。
観念に外れていることに反応することによって自分の観念が浮き彫りになります。
私はこうされるとモヤモヤする
相手のこの言動にイライラしてしまう
そうすることによって自分のことを知っていきます。
まずは知ること。
自分を知ってください。
自分を知ることは自分の人生をより自分らしく生きるために
とても大切なことなのです。
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